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お花はいつ見られるの?

2015.07.05 22:40|お出かけ先の花
今日は、今年亡くなったおじいちゃんの初盆。
おばあちゃんの家に、親戚が集まりました。
玄関脇のエアコン室外機の上では、鉢いっぱいのセンペルが花ざかり。
DSCF8744.jpg
多肉の花って、控えめに花茎が伸びて、サイズ感も可愛らしく咲くイメージがあるのですが。
・・・この豪快さ、すごい。
ノビノビ育ってるんだねと、感心しかありません。
昔は何とも思わなかった(というか、サボ系に花が咲いてたことにすら気付いてなかった)私が、
多肉の花にこんなに感心できるのも、すっかりタニラー化したおかげです。
自然のすごさに目を留められるって、いいですねぇ(←何か違う気も?笑)

おじいちゃんは88で亡くなったので、集まった親戚やお友達の多くは、80歳以上の方々。
念仏や食事会が終わった後、仲良くしていた兄弟やお友達の10人ほどが居間に残り、昔話をしていました。

まだおじいちゃんやおばあちゃんが若かった頃、今の私よりずっと若い、10代の頃。
日本は太平洋戦争の真っ只中。
小学生の頃に、確か夏休みの宿題の一環か何かで、少しだけ当時の話を聞いたことがありましたが、
聞いているだけで辛くて悲しくて、夜眠れなくなった記憶があります。
おばあちゃんや、周りのおじいちゃん、おばあちゃんが戦争当時の話をしているところを聞くのは、それ以来のことでした。
窓の外には、長く花芽を伸ばす多肉の鉢。
とってもとっても、平和です。
DSCF8746.jpg

おじいちゃんが、終戦直前の1ヶ月だけ出征していた最後の兵隊さんだったのだと、今日初めて知りました。
おばあちゃんのお兄さんが戦死していたことを、今日初めて知りました。
教科書や本で読んだことのある、どこか遠い世界のできごとだった「戦争」が突然、目の前に落ちてきました。

おばあちゃんたちの知っている人が出征し、ある日飛行機に乗って、自分の町に飛んできたのだそうです。
両親や家族が住む自宅の上を旋回し、ご先祖が眠るお墓の上を旋回して、また駐屯地に帰っていった飛行機。
おばあちゃんたちは、パイロットの顔が見えるくらい、低いところを飛んでいたと、その時のことを話していました。
知っている人だと分かったから、近くにあった棒に、ありあわせの白い布切れを縛りつけて、一生懸命振って合図をしたそうです。
学校の先生には、「これが敵機だったら死んでるぞ!」とひどく怒られたそうですが、最期のお別れに来た人を何もしないで見送るなんてできなかったと言っていました。

戦時中、おばあちゃんの家からそれほど遠くない山の中に、大きな穴が掘られていました。
今、その穴は戦争とは全く関係のない、ちょっとした施設になっていて、誰でも入ることができます。
元々戦争中に、軍隊やたくさんの捕虜によって掘られた穴だ、という話は、子供の頃に聞いたことがありました。
学生時代、おばあちゃんは駅で、トラックに山のように積まれた捕虜を見たそうです。
外国から連れてこられた大勢の捕虜は、真夏の暑い盛りにろくな食事も与えられず、ふらふらで、荷物のようにトラックに載せられ、穴を掘るためにトラックで運ばれて行ったのだそうです。
人間にあんな扱いをするなんてひどいと思っても、誰もそれを止められなかった、怖かったと。
戦争に負けたら、敵国にもっとずっとひどいことをされる。
そう言われ続けて、怖くて怖くて仕方がなかったと。

都会に比べれば食べるものには不自由しなかったそうですが、それでも道路に大豆を植え、家の軒下にかぼちゃを植えて食料を確保していたこと。
ご飯はお米よりもサツマイモの量が多くて、毎日毎日そればかりで、みんな本当にサツマイモが嫌いになったこと。
中には家が裕福で、白いご飯のお弁当を学校に持って行っていた、というおじいちゃんもいましたが、その人は逆に甘いサツマイモの入ったご飯が羨ましくて、友達とお弁当を交換してもらったこともある、なんて言っていました。

実際に空襲にこそ遭わなかったものの、名古屋を焼いたB29が毎日のように頭上を飛んでいるのがとても恐ろしかったと、当時まだ小さかった、ひとりのおばあちゃんが言っていました。
戦争が終わっても、しばらくは飛行機が飛ぶ姿を見るとドキドキしたそうです。
自分はどうかと思ったら、飛行機の音がうるさいと思ったことはあっても、そこに死の恐怖を感じたことなんて、ありません。
確かに、明日のことなんて分からないと思うこともありますが、スケジュール帳には普通に1ヶ月先の予定が書き込んであって、
自分がそれまでにこの世からいなくなるかも?なんて考えることは滅多に、多分年に1回もありません。
きっと、ほとんどの人がそうだと思います。

今、まるで何でもないことのように、普通に「明日が来る」と思えることの幸せを感じました。
なかなか見られないサボテンの花、いつ咲くの?
明日?
その次?
じゃあ、その頃また見に来るね。
DSCF8745.jpg
普通にそう言える日常が、これからもずっと続きますように。
そう祈らずにはいられない1日でした。


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コメント

No title

こんにちはv-22

うちは 母方が長崎ですから
それはそれは 悲惨でしたよ。
原爆落ちてますし
母たちは 焼け出されていたので
親戚の島原に疎開してましたけどね。

父は学徒で 練兵所にいたけれど
もう船がなくて終戦でした。

焼け野原で どこまでも周囲が見える池袋で
父がぽつんと立っていたら 大きな鍋で
何か男の人達が煮ていて ご馳走になったと
言ってました。
戦争がどんなに怖いか 小さい時から
ずっと 周囲の大人に言われてます。

だから 息子にもいつもいいます
国がなくなっても 生きていけるように
資格や技術を持ちなさいと。

Re: No title

800びくにさん、こんばんは^^

お母様は、長崎の方なのですね。
お父様も、どんなに恐ろしい思いをして、どれだけご苦労をなさったことでしょう・・・。

故郷での生活や大切な人や、いろいろなものを失って苦労した人たちの上に、今の暮らしがあるのですよね。
平和が当たり前になっていますが、何もしなくても平和が続くわけではないのだろうと、最近特に思います。
「国がなくなっても」って、思わず身震いしてしまう言葉でしたが・・・子供にそういう覚悟を持たせることも、これからの親の務めなのかもしれません。
もちろん、そんなことにならないように、自分ができることを考えなければとも思いましたけれども。
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Author:いんでぃこらいと
山に囲まれた田舎の町で、夫と娘と息子と暮らしています。
趣味はガーデニングとハンドメイド☆
最近はバラと多肉植物に夢中です。

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